2010年04月08日

峯入り追記

つい先週の出来事だというのに、もう遠い昔のコトのような、
それでいて、まだ終わっていないような感覚をもたらしてくれている六郷満山峯入りは、
私にとっては、予想以上に――いや、なんの予想もしていなかったから、
この表現は適切ではないかもしれないけれど――感慨深いものとなりました。

その中の一つに、とある行者さんの存在があります。

アスファルトの道を延々と歩くのは辛かったけど、
そんな時に浪々とした声で真言を唱えて力を分けてくれた行者さん。

後ろの方を歩いている私は、
いつもたまたま近くを歩いていた茶色い服の行者さんの明るさに励まされ、
よく通る声に力をもらい、皆を心配する心遣いに癒され、峯入り追記
その方のお陰で歩く辛さが軽減されていました。

一緒に歩いていた人が、その行者さんの名前を聞き、
“光を信じる”と書いて“光信”さんだとお聞きし、
なんとピッタリなんだろう…なんて感心したりして。

光信さんは、
その名の通り、辛く長い道のりを光で照らしてくれていました。

「国東、サイコー!」と、文殊仙寺の山の岩の上で嬉しそうに叫んでいるのを見て、
何人かと顔を見合わせて笑ったり、
上の方に居て、一般行者が見に行けなかったお不動様に
「僕が皆さんの代わりにお参りに行ってきます!」と、手を差し出して握手をし、
「お返しします」と後からまた握手をしてくれた律儀さと発想に皆で感心したりして、
苦しい中に、ほっこりとした和みをくれていたのでした。

遠く神奈川県から来てくれていた光信さん。
近くで歩けて良かったです。

そして、普段余り接点の無いお坊さんが、今回の峯入りでちょっと身近に感じてきました。

両子寺が、あんなにキレイだなんて知らなかったし、
文殊仙寺の仁王様のカッコよさも再認識。
瑠璃光寺のご住職の説法は、めっぽう面白いらしいし、
長慶寺の幽霊の掛け軸は、それはそれは見事だった。

他にも、疲れ果ててて覚えてないけど、どのお寺さんも神社も、
そこで待つ人々も何もかも優しくて、どこもかしこも美しかった。

皆の為に歩く行者さん達のカッコよさは、言わずもがな。

真っ白なそのいでたちは、どの景色の中でも鮮やかに浮かび上がり、
神々しくもあり、うやうやしくもあり、なのに手が届く場所に居るという、
なんとも不可思議な存在だった。

そのお供が出来た自分は、なんと幸運だったのだろうと。

こうして書き始めると、いろいろとまた浮かんでくるんだけど、
とりとめがなくなりそうなので、今日のところはここらでやめときます。

写真は、両子寺にあった可愛いお坊さん(?)。


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